サン・ヴァンサン/Saint Vincent―生産者の雇い主

今日のサン・ヴァンサン騎士団は、連帯と助け合いの精神に基づいて作られた組織から出来たものです。ブルゴーニュ/Bourgogneでの最初の組織は18世紀に見られましたが、19世紀に村々で発展しました。ぶどう栽培者たちは、病気や事故にあった隣人の栽培や醸造を手伝うために、労働時間や道具を分担して分け合いました。この助け合いの精神は今日まで続いており、毎年、地元紙がこのことを伝えています。


1月22日にまつられるサン・ヴァンサンはぶどう栽培者の守護聖人で、栽培者たちの連帯意識を象徴しています。共に生きる時間を讃え分かち合うために、タストヴァン騎士団が1938年にブルゴーニュ/Bourgogneの村から村をまわるサン・ヴァンサン・トゥルナントを初めて生み出しました。


この祭りが創設される以前、サン・ヴァンサンの銅像は毎年、ホストとなる村から他の村へと移されました。そして、サン・ヴァンサンの銅像を自分の村で守るということは、彼らにとって名誉であったのです。


この同じ精神のもとに、ピリエ・シャブリジャンの騎士団が1966年に、シャブリ/Chablisのサン・ヴァンサン・トゥルナントを初めて開始しました。以来、19の村が順番で、数万人が集まるこのお祭りを運営しています。


当番が回ってくると、各村はこの祭りを立派に迎えるために万全の体勢で計画を立てます。村人たちは、祭りの期間中に道を飾る花飾りやその他の飾りの準備を数か月かけて行います。 宗教儀式やパレード、スピーチや就任式なくして、サン・ヴァンサンはありません! 祝宴やダンスパーティー、酒庫の開放なくしても、やはりサン・ヴァンサンはありえません。そして、ぶどう産地の伝統どおり、祭りの期間中に試飲するサン・ヴァンサンのキュヴェを造るために、ホストの村のぶどう栽培者は、収穫の一部を提供します。

 

シャブリ/Chablisの第53回サン=ヴァンサン・トゥルナントは2024年2月3~4日にフィエ村で開催される予定です。詳しくはこちら。 

サン・ヴァンサンの銅像ーシャブリ/Chablis

どうしてサン・ヴァンサンはぶどう栽培者の守護聖人になったのか?

どうしてサン・ヴァンサンはぶどう栽培者の守護聖人になったのか?

ヴァンサンの人生の中で、ワインやぶどうとの関連はなかったとされています。なぜぶどう栽培者の守護聖人になったかを説明する大小様々な推測があります。 圧搾機に似た道具で拷問されていたという説。名前が「ワイン(ヴァン)」「血(サン)」と聞こえるため、という説。彼が亡くなった1月22日という日付が、醸造と剪定の合間でぶどう樹が休んでいる時期であるため、生産者にとって理想的だからという説など。


しかし、もっともらしい推測が他にあります:聖職者であり殉教者であったヴァンサンは、死後すぐに崇拝の対象となり、その遺体と聖遺物はヨーロッパ中を巡ります。メロヴィング朝フランク王国創始者クロヴィス1世の息子キルデベルト1世が、542年に西ゴート王国(現フランス南西部~スペイン)へ侵攻した際、トレドの黄金の十字架と、サラゴサからサン・ヴァンサン(聖ヴァンサン)の僧衣と聖遺物とを持ち帰り、それらを祀るため、サン・ヴァンサン(聖ヴァンサン)とサン・クロワ(聖なる十字架)の二重の守護のもとに大聖堂を建てることを命じます。この修道院は、サン・クロワ・サン・ヴァンサンと呼ばれました。他の多くの修道院と同様に、この修道院もぶどう畑を所有し、修道士たちはそのぶどう畑とワインを守るためにサン・ヴァンサンに祈りを捧げていた、というものです。

 

7世紀以降、サン・ジェルマン(聖ジェルマン)の名前がサン・ヴァンサンの名前に結びつき、この修道院の名前はサン・ジェルマン・デ・プレとなりました。